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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)2570号 判決

原告

髙橋秋男

被告

嶋田睦

主文

一  被告は、原告に対し、金七五万二二六六円及びこれに対する昭和六三年九月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金四二八万三五一五円及びこれに対する昭和六三年九月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、交通事故で傷害を負つた原告から、加害車両の運転者である被告に対し、民法七〇九条に基づき損害賠償請求した事案である。

一  争いのない事実など(証拠及び弁論の全趣旨から明らかに認められるものを含む。)

1  事故の発生

(1) 発生日時 昭和六三年九月一一日午後四時一〇分ころ

(2) 発生場所 大阪市東区北浜四―三九石切大阪線土佐堀通り淀屋橋交差点(以下「本件現場」という。)

(3) 加害車両 被告運転の普通乗用自動車(足立五六み四三三八、以下「被告車」という。)

(4) 被害者 普通乗用自動車(大阪五三に五五七八、以下「原告車」という。)運転の原告

(5) 事故態様 本件現場で信号待ちのため停止中の原告車に被告車が追突し、原告が頸部損傷の傷害を負つたもの

2  被告の責任

本件事故は、被告が前方注視を怠つたため惹起されたものであるから被告は民法七〇九条により原告の損害を賠償すべき義務を負う(甲一、二、弁論の全趣旨)。

3  損害の填補

原告は、被告及び自賠責保険から一六四万一一〇〇円の支払を受けた。

二  争点

1  原告の受傷程度及びこれに対する相当治療期間(症状固定時期)

原告は、本件事故により頸部損傷の傷害を負い、平成二年三月二九日に症状が固定するまで治療を要したとするのに対し、被告は、原告の受傷は、他覚的所見を伴わない頸椎捻挫であるから、相当な治療期間は三か月程度であり、仮に右の期間を越える治療を要したとすれば、原告の素因が多大に影響を及ぼしていることから過失相殺の法理を類推適用して賠償の保護範囲として五割以上の減殺をすべきである。

2  後遺障害の存否及びその程度

原告は、本件事故により、症状固定後も後頭部痛、右肩痛、右肩甲骨内側痛が残存し、しばらく塗装工として稼働できなかつたなどとして後遺障害の存在を主張するのに対し、被告は自賠責保険で非該当とされているとしてこれを争う。

3  損害額

第三争点に対する判断

一  本件事故による原告の受傷程度及び相当治療期間

1  証拠(甲一、二、三の1ないし6、四の1ないし4、五ないし八、一一、一五の1ないし8、乙一ないし六、七の1、八の1、2、九の1ないし3)によれば、原告の受傷、治療経過について以下の事実が認められる。

(1) 本件事故は、時速約三〇ないし四〇キロメートルで走行していた被告車が、前方で信号待ち停止中の原告車を発見し、急ブレーキをかけ、左にハンドルを切つたが及ばず、被告車右前部を原告車後部に追突させたものである。なお、被告車は前部右フエンダー部に凹損が、原告車は後部左フエンダー・後部トランク左端部に凹損の損傷がそれぞれ生じた。

原告は本件事故当時、シートベルトを着用し、運転席にはヘツドレストが装備されていた。

(2) 原告は、本件事故の翌日から首と肩が張り、発熱、不眠を覚え、本件事故後二日を経過した昭和六三年九月一三日松尾医院で受診し、自覚症状として「頭痛、頸痛、頸部倦怠感、目のだるい感じ、ぼーつとする、食思不振」を訴え、他覚的所見については、「上下肢の諸腱反射・病的反射は異常なし、両上肢(特に前腕のみに)尺側触覚鈍麻、平衡機能検査異常なし、握力左右とも四五キログラム(右利き、なお、原告本人尋問等によると左利きの誤記と認められる。)、両側頸部の腫脹は明瞭で圧痛を認める、アドソンテスト正常、左エルブG点圧痛、左第七頸神経の圧痛、頸椎レントゲン検査によると生理的弯曲の消失」が認められ、傷病名を頸部損傷とし、松尾医師は損傷の程度も軽く短時日の間に就労できるものと考え、二週間の安静通院加療を要すると診断した。しかしながら、同年一二月までは、軽度の頭痛、肩凝り(特に左)、右側頸部痛、左第三頸神経の圧痛、右第七頸神経の圧痛等が出没した。

原告は松尾医師の指示どおり安静加療していたものであるが、同年一二月一二日に右肩痛は変化ないものの、頸痛が軽度となり、頸部の腫脹も軽減したので、同医師の指示により平成元年一月一二日から二月七日まで就労したところ、両側頸部の下部に腫脹と疼痛が現れ、その後、頭痛、左小指の痺れも現れた。

同年三月に、頸部の愁訴を強く訴え、不安感を拭えず、平成元年三月一三日まで通院治療(実通院日数一三〇日)したが、結局吉田外科病院に入院した。

なお、この間の治療は、頸椎牽引、消炎鎮痛の軟膏、湿布、時に消炎鎮痛剤服用といつたものであつたが、昭和六三年一〇月二五日、平成元年二月九日には頭痛に対して大後頭神経ブロツクによる治療もなされた。

(3) 原告は、松尾医師の紹介で平成元年三月一四日に吉田外科病院で受診したが、初診時に強度の頭痛、頸部痛を訴え、首全体に腫脹を認め、運動制限も明らかであつた。また、目も腫れてボーツとかすんで見える状況で、バレー・ルー症状が主体であるとして、外傷性頸部症候群、頸性頭痛、大後頭神経痛、頸緊張性頭痛と診断され、右同日から同年六月一〇日まで入院治療した。

カルテによると、入院中は、三月二九日には「入院時の頸部痛は、今はもう無くなつている」、三〇日には「頸部痛続いている」、四月八日には「頭痛は良好」、同月一九日には「頸部痛はましに、頭痛はある」、同月二〇日には「頸部痛は大変よくなつている、頸部の動き障害なし」、五月一日「頭痛、頸部痛生じている。まだ無理にダメのようだ、しかし入院時のようなことはない、安定している」、同月二五日には「左外頸部また張つてきて痛み、頸部痛、背部痛続いている、現在の治療で様子みるしかありません」などといつた記載がなされている。

入院中は点滴、内服薬、湿布、頸椎牽引、頸部機能訓練による治療がなされた。内服薬の中にデパスが処方されているが、デパスは、エチゾラムの商品名であつて、抗不安作用、鎮静催眠作用、筋緊張緩解作用、抗うつ作用のある薬剤で頸椎症にも処方されるものである(小倉医師の証言による脳血管の血流改善作用は認められない。)。

退院直後の六月一四日の症状は、頸部局所痛、右第六頸髄領域の手の軽度の痺れ及び第三ないし第五頸髄に起因する肩甲部痛が残つたが、小倉医師は軽労働は可能と診断した。

原告の吉田外科病院でのカルテの記載をみると、退院後、原告は、六月三〇日に「頭痛、左肩痛。右手指が痺れる」、その後も七月一日に頸部痛を訴えた他は、同じ症状を訴えている。平成二年一月一九日付診断書では、傷病名は外傷性頸部症候群とされ、頸部痛が残存し、ヘルメツト着用の仕事は不可、軽作業にされたいとの診断がなされている。

同年三月二九日付の小倉医師作成の後遺障害診断書では、傷病名は外傷性頸部症候群、頸性頭痛とされ、自覚症状として「後頸部を主として、これより後頭部痛・右肩痛・右肩甲骨内側痛、首全体に張つた感」、他覚症状として「後屈時頸部痛が特に目立つた症状である。両肩(特に右)を認め、アドソン・ライト・スパーリング・ジヤクソンの各テストはいずれも陰性、握力右三六キログラム、左五五キログラム、左利きであるが握力低下を認める。また、右手の第六頸髄神経鈍麻を軽度認め、小さいものを持てない。大後頭神経への神経症状あり。頸性頭痛を残す。肩甲部への症状も同様である(第七、第八頸髄神経)。来院当初はレントゲン写真上にも頸椎の運動制限認めたが現在は軽度のみである。」、頸椎部の運動障害として「前屈二五度、後屈五八度、右屈三五度、左屈四五度、右回旋四〇度、左回旋五五度」と記載され、同日症状固定との所見を示している。

(4) 原告は、吉田外科病院に入院中、検査のため星ケ丘厚生年金病院脳外科で受診し、院長宛に「後頭神経起始部の自発痛及び圧痛、右上肢軽度挙上障害及び自発痛以外に神経学的な異常所見はなくCTも正常とし、後頭神経ブロツク、肩胛上神経ブロツク、電気治療が有効」との書面が作成されている。

同年一二月一四日の大阪市立大学医学部附属病院で筋電図による検査をしたところ異常は認められず、「気にせず、ゆつくりと回復を待つという気持ちでやられればよいと思います」と担当医が所見を示している。

(5) 原告は、就業場所の日立造船健康保険組合桜島診療所で、事故後休業したのち、平成元年一月一二日からの出勤にあたり、前日の一一日に復職診断を受けているが、その際は、「頭痛あり、頸部屈伸制限軽度、各腱反射正常、握力右四六キログラム、左五〇キログラム、ジヤクソン・スパーリングテストいずれも陰性、両上肢の知覚異常なし、肩痛残存、依つて労務可と判断、軽作業より生活環境に慣れ漸次暫時普通労務へ移行が望ましい条件で就労可とする。」とされ、吉田外科退院後の復職の際、同年六月一六日にも診断を受け、「頭痛強度にあり、頸部局所痛軽度、両肩胛部痛あり、耳鳴なし、握力右三四キログラム、左四二キログラムやや減退、視覚・味覚異常なし、右前腕にかけて知覚異常」と診断されている。

以上の事実が認められている。

2  右事実によれば、本件事故によつて原告が頸部に損傷を受けたことは認められるが、原告の症状は他覚的所見に乏しく(松尾医院でのレントゲン検査において、頸椎の生理的弯曲の消失を指摘されているが、吉田外科病院では異常なしとされているものであつて、他覚的所見といえるか疑問がある。)、自覚症状に止まるものであつて、原告の治療期間はその受傷内容に照らすと余りに長期といわざるを得ない。また、小倉医師は、原告の頸部腫脹の症状を捉えて本件事故によるバレリユー症状が主体となり、症状が長期化した旨証言するが、医学的には右のような症状はバレリユー症状とは認められておらず、同医師の見解はとりえない。

しかしながら、原告の症状については復職時の検査においても自覚症状に止まるものの、主治医以外の医師によつて軽作業に止まるとの所見も示されているものでもあり、また、入通院における同人の治療態度等は症状改善に向けて真摯なものが窺えるにもかかわらず症状が持続していることなどに照らすと、原告の症状について治療内容、原告に対する医師の指示が不適切であつたとする事実も認められない以上、小倉医師の診断どおり平成二年三月二九日までの治療はやむを得なかつたというべきであるが、他方で、前記治療経過に加え、吉田外科病院での内服薬に筋緊張緩解作用とともに抗不安作用の薬効も認められるデパスが処方されていること、症状固定と診断された後は一回通院したに止まること等によれば、心因的要因により治療が長期化したことも否定できない。受傷の程度等前記認定事実によると、治療の遷延化に及ぼした心因的要因の寄与の割合は四割とするのが相当であるから、過失相殺の規定を類推適用して四割の相殺をするのが相当である。

二  後遺障害の程度

前記のとおり後遺障害診断書では、他覚所見はほとんど認められず、後頸部痛などの原告の愁訴に止まる症状が認められるに過ぎず、症状固定後は一回通院したのみで、右症状の治療に全く赴いていないこと、平成三年四月からは従来の業務に従事していることなどによれば、平成二年四月から同年一〇月まで塗装関係の職場から清掃事業に変わつたこと(原告本人)も認められるが、慰謝料を認めなければならないほどの後遺障害は認められない。

三  損害額(以下、各費目の括弧内は原告主張額)

1  治療費(一六八万三二五〇円) 七八万〇二五〇円

(1) 松尾医院分

前掲証拠によれば、原告は昭和六三年九月一三日から平成元年三月一三日まで松尾医院に通院治療(実通院日数一三〇日)し、その治療費として五二万八五二〇円を要したことが認められる。

(2) 吉田外科病院分

前掲証拠によれば、原告は平成元年三月一四日から平成二年三月二九日(入院八九日、実通院日数一五七日)まで、吉田外科病院で入通院治療し、自己負担分として二五万一七三〇円を要したことが認められる。

2  入院雑費(八万九〇〇〇円) 八万九〇〇〇円

前記のとおり、原告は八九日間入院したことが認められるところ、その一日当たりの諸雑費として原告主張のとおり一〇〇〇円が相当であるから八万九〇〇〇円となる。

3  休業損害(一九五万二三六五円) 一九五万三〇二七円

前掲証拠に加え、甲九、一〇の各1、2によれば、原告は本件事故当時、ニチゾウ桜島塗装株式会社に塗装工として勤務していたが昭和六三年九月一三日から平成元年六月一六日まで二七七日間のうち、同年一月一二日から二月七日まで二七日間を除き二五〇日間の欠勤を余儀無くされ、その間給与の支払を受けなかつたこと、事故直前三か月の収入が五九万三八三〇円であつたこと、右欠勤で賞与が平成元年夏期分が一八万六四〇〇円、冬期分が一一万七一〇〇円減額されたことが認められ、休業損害は一九五万三〇二七円となる。

(計算式)

593,830÷90×250+186,400+117,100=1,953,027(小数点以下切捨て)

4  入通院慰謝料(一一〇万円) 一〇〇万円

本件事故による原告の傷害の部位、程度、通院期間、実通院日数、職業等を総合勘案すると慰藉料として一〇〇万円が相当である。

5  後遺障害慰藉料(七〇万円) 〇円

前記認定によれば、後遺障害による慰謝料は認められない。

6  小計

以上によれば、原告の本件事故による損害(弁護士費用は除く)は三八二万二二七七円となるところ、前記心因的要因による四割の控除をすると二二九万三三六六円となり、さらに既払金一六四万一一〇〇円を控除すると六五万二二六六円となる。

7  弁護士費用(四〇万円) 一〇万円

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は一〇万円と認めるのが相当である。

四  まとめ

以上によると、原告の本訴請求は、被告に対し、金七五万二二六六円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六三年九月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由がある。

(裁判官 高野裕)

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